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好きな道 悔いのない人生 自伝

 
私は自分の好きな道を一筋に、悔いのない人生として歩くことが出来ました。好きな道を歩くための道のりを振り返って自伝としてみました。
子供も孫も、そして家内も元気にしていてくれます。悔いのない人生を生きるという思いを自伝にしてみました。

私は2018年の今年、77歳になり喜寿を迎えました。
でも、誰も祝ってくれず、私が皆を招待してバーべーキューを楽しんだ次第です。
それには多少理由がありそうです。と言うのは、年に似合わず割と元気だからだと思います。チカラコブだってありますし、数kmのウォーキングもできますので、皆が私の年を忘れていたからだと思うのです。
それで、バーべーキューの席で言いました。ここまで長生きさせてもらい、好きな道を歩くことが出来、天の神様や皆さんに感謝しています。今日はそのお礼と言っては何ですが、私がおごらせてもらいますからねって。

この好きな道を歩いてきた人生の中で、本当に自伝として記録に残しておきたいことは、単に時系列として記すのではなく、人生の出来事として分別して記録すべきだと考えました。
時系列に従いますと、ある時期において、会社のこと、青春のこと、社会奉仕のことを全部書き、次の時期において再び会社のこと、青春のこと、社会奉仕のことを並列的に述べなくてはなりません。そのためこれらを分別した項目として自伝にまとめることにしました。さらに時系列を無視して、言いたいことを先に書いたりもしています。

でも本当にありがたく思っているのです。私は好きな道を悔いのない人生として過ごすことが出来ました。
同窓会で皆によく言われるのですが、「中田君は好きな道を好きに歩いて来られて本当に幸せなやつだなあ」と。
確かにその通りなのですが、本当はちょっとだけ言い返したいこともあるのです。口には出しませんが。
「ありがとう。その通りだけど、そのためには努力と忍耐があったんだよっ!」と。

そんな裏側のことも知っていただけたらと思い、この年になって自分の人生を自伝としてホームページに書いてみることにしたのです。
実際、好きな道を好きなように歩くことが出来たとは言いますが、そのためには相当の努力も必要なのです。怠けていれば脱線してしまっていたかもしれません。
幸運にも恵まれましたが、家内の献身的な努力もあったからこそ、この道をまっしぐらに進むことが出来たのです。
妻には本当に感謝しています。

22歳で入社し、75歳まで何と53年間同じ会社で同じ仕事をさせてもらいました。子供のころから電気が好きでしたので、この会社で電気の仕事を続けられたことは本当に幸せでした。最初から最後まで好きな道を歩ませてもらえたのです。
100歳まで行けるわけはありませんから、人生の半分以上をこの会社で過ごしたわけです。それも好きなことをさせてもらってです。部署すら変わらず、電気設計一筋です。
この会社は配電用の機器を生産販売する会社で、国内ではほんの数社しかない珍しい会社です。

入社したころのことを次頁に書いてみます。

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