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自伝として、尺八演奏について書きます。 趣味でやっているのですが、尺八演奏はかなり長いです。 高校のころ父に教わったのです。大学に入って担任の先生から更に指導してもらいました。 その後もずっと続けています。 好きな道を歩いてきた人生ですが、趣味を持つことも大切だと思っています。 父に習ったのは琴古流でしたが、大学で先生から習ったのは都山流でした。 楽譜の読み方が少し違うだけで、基本は変わりないですので不都合はありませんでしたが、それ以来、都山流の楽譜しか読めなくなってしまいました。 尺八そのものは父からもらった琴古流の尺八を使っています。吹き口の形が少し違いますが別に差しさわりはありません。 この尺八は、おそらく父が20年か30年使ったものだと思います。これを私が60年使っていますから、相当の年代物です。 中央で二つに分離できるタイプで中継ぎと言われるつなぎ部分には純銀製のワッパが入っています。 しかし何回も使われたため、つなぎ部分がすり減ってガタが出てきましたので、先日自分で修理しました。 本当はウルシで補修するべきなのでしょうが、ペンキを重ね塗りしておきました。 私の肺活量は同年代の人よりかなり多いです。 たぶん、この尺八を永年続けてきているせいではないかと思います。 私の肉親は全員亡くなり、私は一人取り残されている状態です。 人生を振り返ってみますと、母のことはよく思い出しますが父のことはあまり思い出す機会はないような気がします。 火傷して自転車で走ってもらったことや、サーカスを見に連れて行ってもらったことなど断片的には覚えていますが、男と言うものは損な役割だと思いますね。 私もこど子たちから同じように思われるのかもしれません。 しかし、私が電気と言う好きな道を歩めるようにしてくれたのは、父の教育方針のおかげだと思います。 自分の人生は自分で歩いてきたのだと思いがちですが、この自分の好きな道を悔いなく生きられる人生にすることが出来たのは、妻の献身的な努力や、親たちの生活を支えてくれた努力など、色々の人の助けがあったからだと思えます。 自分の人生は自分だけで歩いてこられたのではないのです。 この尺八を手に取るたびにそんな感謝の気持ちを思い出します。 次は自伝として、その他のいろいろの楽器演奏に挑戦したことを書いてみます。 |
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