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小学校に入りましたが、それは小学校ではなく、分校でした。何々小学校の何々分校です。夏休みの工作は大好きでしたし、5年生の時には電気の工作で新聞にも載りました。 田舎の分校なので生徒数は少なく、私の学年は23人でした。内5人が男生で18人が女性です。非常にアンバランスなので後の同窓会は両手に花どころではなく、楽しいものになりました。 それはさておき、私は相当の悪ガキだったようです。 ボールが壁に当たれば、君だろう!、ガラスが割れれば、君だろう!ばかりでした。 女の子をいじめた覚えはないのですが、同窓会になると決まっていじめられた話が出てきますのでこの点は閉口しています。雪の中に顔を突っ込んだのだそうです。 大抵の女性はそう言いますが、ある女性は、私はやられていないわ、といいました。すると異口同音に、貴女は中田君から好かれていたからねっ!。などと大笑いになります。 冬になると今の暖冬とは違い、非常に雪も多く、温度も低かったですから、学校へはよくスキーで通いました。 カッテノリと言う現象の起きる時もありました。それは、昼間太陽で融けた雪の表面が夜になって凍ってしまい、朝、人が乗っても雪がめり込まないようになる現象です。 田であれ畑であれ、一面が自由に乗れる雪になってしまうのです。ですから道路ではなく、一直線に学校に向かって歩くこともできました。 夜は冷えました。マイナス15℃くらいになるのはしょっちゅうで、そういう時は布団の襟や自分の眉毛も吐く息が凍り付いて真っ白になりますし、ガラス窓は雪の結晶のようなきれいな模様になってしまいます。 3年生の時は学芸会でギターを演奏しました。(4年せいだったかも)。兄に教わっていたのを披露したのです。 また、その3年生の時、鉱石ラジオを作りました。 小遣いをためて部品を買い、近くの兄さんに作り方を教えてもらったりして、とにかく放送の聞こえるラジオを作ったのです。 5年生の時には電気スタンドの上部を壊してそこにモーターと羽を付けた扇風機を作りました。夏休みの工作です。 これは学校でも褒められましたが、県大会にまで出してもらい、新聞にも載りました。 夏休みの工作はそういう調子でしたが、家では一部屋をもらっており、半田ごてやペンチなどいろいろの道具をそろえ、床に線路を敷いて電気機関車を走らせました。 電気機関車もいろいろの部品を集めてきて作るわけで、キットものではありません。 そんな姿を母は目を細めて喜んでくれました。 電気工作は大好きだったのです。 父は、子供の科学という雑誌を毎月取り寄せてくれました。いろいろの知識を得ることが出来ました。 ある時、その子供の科学に書いてあったのを見て、ラムネを作ったのです。 出来上がったので父に試飲させました。 そうしましたら、「なんだ、こりゃ??!」、お前のんでみろっ、と言われ、飲んでみましたらなんとまずいことか。 よく考えたら、砂糖を入れ忘れていたのです。ただの炭酸水になっていたのです。そんな失敗もありました。 でも、科学に興味を持ち、電気工作は好きでたまらなくなって行ったのです。 小学校に入る前から電気に興味はあったのですが、時がたつにつれ、益々電気が好きになってきました。 次は中学校にいきますか。 |