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愛しあうということの根源は理性的なものなのか本能的なものなのか経験上感じたことを記します。 あくまで学術的な見解ではなく、自伝としての人生上の経験から、愛し合うことの根源について理性的な面と本能的な面を感じたまま述べてみます。 愛しあうということについて実感から言えば本能的であるような気がします。 しかし同時に理性も働き、その理性は愛しあうことに対してブレーキの役目もあるような気がします。 本能的であると感じるのは、実際恋愛中には理屈なしにその人と一緒にいたいという気持ちが抑えられなくなってしまいました。 また、別の面からしても、愛の根源は本能でなくてはならないとも言えます。なぜなら、種の保存のためには愛しあうことが必要だからです。 神様は、種の保存のために愛しあうことを本能として植え付けられたのではないでしょうか。 夫婦愛にしても同じです。二人が愛しあうことがなければ子供は生まれず、人類は絶滅してしまいます。 夫婦愛の場合は恋愛と違い、強烈な思いはないと感じています。 皆さんは空気に感謝していますか? 空気がなければ人は生きていけません。でも空気がそこにあることすら普段は感じないでしょう。 夫婦の愛もそのようなものだと私の人生においては感じています。 夫婦愛は生まれているのですが、とりたてて愛し合っているとも言いませんし、普段は感じません。 理性を以て愛するかどうか考えているでしょうか。 いちいち考えてはいないですよね。 でも、愛することは本能的だと決めつけるわけにはいきません。 うまく行っているのならば考える必要もないですから、本能的に愛し合うだけでよいでしょう。 しかし、喧嘩でもしてその愛にヒビが入り始めた時、この先愛し合うべきかどうか、理性を以て考え行動すると思います。 その場合には本能的な面よりも、理性的な面が優先します。 浮気については本能と理性が同時に作用すると思います。 奥さんでなく別な人が何らかのきっかけで好きになり始めたとしましょう。 本能にだけまかせておけば、そちらの方でも子供を作ればよいわけです。神様も喜ばれるかもしれません。 しかし神様は人間に理性を与えてくださいました。 別な人と愛しあうべきかどうか理性を以て考えよと言われているわけです。 円満な家庭、夫婦愛、すでにいる子供のため、これらを考えあわせれば浮気はしない方が良いとの結論に達することと思います。 別の考え方を持つ方もおられるかもしれませんが、私の人生においては、この理性は浮気に対してブレーキをかけてくれました。 愛しあうことの根源は本能的なものだと思いますが、同時に理性も働いているのです。 恋愛の場合も同じだと思います。 恋愛においては、本能的な面は強く作用しますが、本当に愛しあっても良いのだろうか、二人の愛だけでなく、収入や生活、親兄弟の意見など様々な面から考え、行動を決定していくはずです。少なくとも私の経験ではそうでした。 愛しあうことに対して理性的面の作用と、本能的な作用の両面があると言いましたが、どちらが強く作用するかは男女差があるような気がします。 男性の場合は相当理性を持つことが出来ますが、女性の方は理性で本能を制御することがなかなか難しいように感じました。女性は感情で生きているとよく言われますがその通りのように思います。 結局、私が自伝として自分の経験をまとめるならば、「愛しあうということの根源は本能的な面が強いけれども、同時に理性的な面も作用している」と感じて来たということです。 次は方向を変えて、趣味などについてのお話をしましょう。 |
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