仕事納め

 
53年間にわたる電気技術屋としての会社勤めも納め時になりました。この人生に悔いは全くありません。幸せであったことは私だけの力ではなく、親の教育や願いでもあり、妻をはじめ子供たちのおかげだと感謝しています。

仕事納め

取締役待遇の技術顧問として結構忙しく指導などしていましたが、この技術顧問はなんと約20年に及ぶのです。
私はやはり研究が好きなのです。後の方になってから、自分専用の研究室を作りました。
その研究室で雷から電気機器を守る商品を開発しました。ただ、これは製品寿命が短く、3年ほどでボツになってしまいました。
このボツを機会に専用の研究室を閉じることにしました。
いくら好きでもこの歳になりますとアイデアも浮かんでこなくなり、研究と言うことが出来なくなってきたからです。

もう70歳を過ぎていました。
ここまで電気設計をやってきましたが、時代について行けなくなり、技術そのものも古くなってしまったのです。

副社長も退職され、技術顧問となられました。
二人で向かい合わせのデスクに座っていました。私より少し年上の方です。
研究もせず、相談事もほとんどありませんから、二人で雑談するだけですが、一日中話をしているわけには行きません。
二人とも眠くなってこっくりこっくりです。
二人の居るところは仕切りの中ですから、皆からは見えないのですが、ひょっとしたらイビキが外に聞こえていたかもしれません!
机は大きく、両袖付きの机です。さらにパソコン台もあって、横を向けばパソコンが使えます。
寝ていなければパソコンでしたね。

しかし仕事がないのですから、最後の方は週一にしました。それでも結構な給料をもらえましたので会社には申し訳ないと思っていました。
副社長から顧問になられた方は退職されました。
私もどうしようか考えましたが、75歳の節目をもって退職を願い出たのです。
皆は花束で送ってくれました。

電気と言う好きな道を仕事として歩いてきたこの人生は何も言うことがありません。
私の親も、私が電気の道を歩めるよう、教育もしてくれましたし、そのように願っていたことと思います。
忙しかった頃の妻の努力も大変でした。子供を負ぶって雨の中を病院通いしたり、夜中に食事の用意をしたりです。
子供たちも社会人として立派にやっており、結婚し、孫まで居ります。
そういう周りの人たちのおかげで、私はこの道を一筋に歩んでくることが出来たのです。
大学の先生にも、会社にもお世話になりました。

両親も兄弟も他界していますが、みんなのおかげです。
本当にやり残したことはありません。
幸せな人生を頂くことが出来ました。

有難う御座いました。本当に有難う御座いました。




電気の話はこれで終わりにしますが、私の青春について次頁でお話しします。


自伝 TOP  次頁