町内祭り

 
この町内には祭りはありませんでした。
そこで子供のためにも町内祭りを作ろうではないかと言うことになり、私もこの町内祭りの創始者と位置付けられ、獅子舞の踊り方や太鼓の叩き方など指導しています。
自伝として人生の一面にはこのようなこともあることを記しておきます。

この町内は都市近郊の丘を削って宅地として売り出されたところです。
ですからほとんどの方はここに新しく入居した人ばかりです。もちろん昔からの土地持ちの方もおられますが数は少ないです。
私の家の近くは、どちらを見ても新しく引っ越してきた人ばかりです。
早い遅いはあるにしてもまず大方は10年前後のうちにこの付近に住むようになった人が多いです。

そのような関係もあり、この町内には祭りと言うものが存在しませんでした。
もちろん遠くにある神社の氏子にはなりますが、正月に初詣するくらいのもので町内祭りはなかったのです。

家を建てて数年した時、庭で写真を撮っていましたら、すくそばの道路でびーひゃらびーひゃら音がするではありませんか。
何かなぁ、と思い道路に出てみましたら、3人の人が1輪車に小太鼓を乗せて笛を吹いているのです。
これは珍しいと思い、持っていたカメラで1枚パチリと取りました。

そうしましたら、中田さんも一緒にやりませんか、リズムに合わせて太鼓を叩けばいいですから、と言われ、一緒に町内を回りました。
その後これが町内祭りとして定着してくるのですが、私もこの町内祭りの創始者のひとりであると位置づけられてしまったのです。

さて、そうして町内祭りが始まったのですが、一輪車ではいかにも寂しいということで、数人の仲間を募り、祭り同好会を結成しました。
この同好会の努力によって、樽みこしなどが作られました。
更に山車も出来ました。

しかし祭りなのにお囃子や獅子舞がないのは、これも寂しいということで、何とか子供たちに演奏させることを考えました。
創始者のひとりが横笛でお囃子を演奏できます。しかしこれを子供たちに教えるのは大変なことです。
それで、私がその横笛を録音し、何回も、何回も聞きなおしながら、通常のドレミファの音符に直したのです。
これならば小学生でも縦笛(リコーダー)を習いますので演奏することが出来ます。
もう40何年たちますが、今でもその楽譜を使っています。

獅子も買いました。
しかし舞い方が分かりませんし、曲もわかりません。
そこで旅行に出かけるたびにカセットテープを持ち歩き、観光用にやって見せているところで録音してきました。
これも同じように通常の音符にして、子供達でも演奏できるようにしました。
舞は、創始者の一人と私とで曲に合わせて作り上げでしまいました。このころビデオは持っていませんでしたのでこうせざるを得なかったわけです。
しかしこの獅子の舞は楽譜にすることが出来ませんので口伝です。右へ上げたら下からすくい上げてなどと教えていくのです。

毎年、祭りが近づきますと、何十人もの子供を集めて指導します。
祭り同好会が中心で、町内祭りを主催していましたが、現在は主催者は町内の責任で行います。同好会の人は指導に専念するだけになりました。
原因は歳です。会場の準備などいろいろの作業は町内の方がやってくれます。
でも、町内の関係者は年ごとの当番制ですので新しく当番になった人はあまり手順がわかりません。
そのため、子供たちの演舞指導だけでなく、祭りのやり方についても町内の責任者に毎年伝えなくてはなりません。
何とか自然に伝わっていく仕組みを考えなければならないと思いながらも、まだよい方法が見つかっていません。

お囃子(ハヤシ)の方は楽譜のおかげで、指導するのはそんなに問題ありませんが、獅子の舞について指導者の足腰が弱くなってきましたので、昨年ビデオを作りました。
少しづつ、小間切れにして、繰り返しながら覚えられるようにしたのです。
今年試してみました。指導者が教えなくても、このビデオでできることが分かり、今後指導者が歳とってもだいじょうぶになりました。

このように、私は町内祭りの大きな役割をもらい、指導と改善をボランティアで行っています。
全くの無報酬です。
祭り当日に弁当をもらうだけですね。
でも、根が祭り好きなのでしょうか。人生として楽しんでいます。
好きな道を行く人生の中身は、仕事だけではなく、このような行動も人生生活の一つです。
人の役に立ち、自分も満足できることは、好きな道であり、同時に悔いのない人生とするための糧ともなります。
今後も足腰の立つうちは協力させてもらうつもりです。

この後、神社の氏子総代を務めていることを書きます。


自伝 TOP  次頁