高校のころ

 
高校への進学はあまり苦労しませんでした。競争倍率がさほど高くなかったからです。
今からざっと60年前のことですし、高校へ行く人は少なかったのです。
中学はいろいろの地域の生徒が集まっていますが、私の家は農家でしたし、その部落の小学校でみてみますと同級生で高校へ進学したのは二人だけでした。
ただ、中学から高校へ行くのに、どの高校にするかは考えなくてはなりませんが、私は躊躇することなく進学のための高校を選びました。

私は運動が苦手だったのですが、剣道部に引っ張り込まれ、一年間剣道をやりました。小手をとるのは得意だったです。

剣道部をやめて、私は物理クラブを立ち上げ、何人かの友達といろいろ研究しました。三つ思い出があります。
一つは、アルコールランプでガラスを熱し、曲げ加工をする時に、大失敗して手をけがしてしまいました。今でも傷跡が残っています。
二つ目は、フラスコの中に入れた水を水銀を使った真空ポンプで引けば氷になるはずだとの理論を考えたことです。顧問の先生に相談しましたが疑問視されました。
その実験をすると通常の真空ポンプではそのポンプを痛める可能性がありますので、水銀を使う真空ポンプを考えたのです。
すると考えた通り氷が出来たのです!!
先生に見てもらい、なるほど出来るんだなあ、と感心してもらいました。
三つめは、クラブの活動費をはるかに超える天体望遠鏡を購入してもらったことです。
物理クラブとしてではなく、高校として天体望遠鏡を持った方がいいのではないかという説得が成功して、結局物理クラブにその望遠鏡がもらえたのです。
町中からは外れたところに高校がありましたので、夜の星はとてもよく見え、しばらくは毎晩出かけていきました。

高校の成績はあまりよくなかったです。小、中、高、大のなかでは一番悪かったですね。
進学組約80人のうち10番そこそこにしかになれませんでした。

小さい時から物を作ることが好きでしたし、中学では数学や理科が得意でした。
高校になってからはほかの科目との差がより鮮明になってきました。とにかく物理と数学だけができたのです。
ほかの科目は並程度でしたか。
一度ですけど、赤1というのをもらったことがあります。通知表の評価は1から5までで、1が最低、5が最高です。
ところが、社会科で赤1だったのです。
赤1というのは最低の1にも達しない極めて悪いということです。
先生から注意を受け、その後猛勉強しましたら、普通を示す3にまでなりました。「やれば出来るじゃないか」と先生や両親に言われましたが、やれやれでした。

さて、高校卒業後、どの道に行こうか少し迷いました。数学も得意でしたから将来数学の先生になる道も選択肢の一つでしたし、物理学も得意で電気の道に進むことも選択肢でした。
得意な道に行くべきか、好きな道に行くべくかを考えました。
数学はたまたま得意だったのですが、小さい時から電気のことが好きだったのです。
考えた挙句、好きで得意な道へ行くのが一番いいのではないかという結論になりました。電気の道を選んだのです。

そうであれば、どの大学にするか、どのコースにするかを調べてみました。
比較的近いところに、理工学部の電気工学科のあることが分かり、推薦入学の推薦書を書いてもらうことにしました。
これが通れば、入学試験なしで大学に入れるのです。
推薦書を提出した後、その大学で給費生を募集していることが分かりました。
給費生試験は特別にむつかしい関門なのですが、試験科目を自分の好きな科目に絞ることが出来ることが分かり、それならばということで物理、数学を選びました。
この給費生試験は12月にあり、1月には合格発表がありました。
合格できたのです!!
3月の卒業まで勉強なんかそっちのけです。もうここに決めて高校を卒業することにしました。

次は子供のころから電気が好きだったことを書きます。

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