|
|
やはり会社では新入生と違って、働き盛りと言う時があります。本当に寝る暇もないという時期でしたが、仕事そのものが楽しく、ヒット商品どころか大ホームランまで打ちました。 仕事は大好きな電気製品の開発設計ですから、どんなに忙しくても嫌だと思ったことはありません。 会社に入って2、3年後に結婚しましたので子供もいましたが、子供の顔をまともに見ることがほとんどない日が続きました。 帰ってくるのは夜の1時か2時。 起きるのは6時ころです。 食事したり、風呂に入ったりしていれば寝る時間は4時間ちょっとです。子供の寝顔しか見ることはできませんでした。 その頃は土曜日も平日出勤でしたので、日曜日と祝日だけが休みでしたがそんな日のうち、たまにだけ休みを取って家族サービスです。 今なら過労死か、労基違反でしょうね。 でも、製品を開発すること自身が楽しいのですから毎日会社に楽しみに行っているようなものです。 ある時、もちろん特許も出しましたが、よその競争会社ではどうしても作れない製品を開発したのです。 配電用の機器を作っていますのでお客様は電力会社です。 特許料を取って、よその会社にも作らせるように、電力会社から言われました。それでそのように許可が出されたのですが、競争会社では技術的にどうしても作れなかったのです。 そのため競争会社は当社から製品を買って、名前だけその会社ということにして電力会社に売らなければならなくなりました。こういう場合はOEMと言われます。 うちの会社の社長は飛び上がって喜びました。 勝った!勝った!、あの会社に勝ったぞっ!と。 よほど嬉しかったのでしょう。私を1か月に及ぶ海外旅行に行かせてくれたのです。アメリカを一周する研究ツアーでした。最初は通訳が訳してくれていましたが、研究ツアーの一行はほとんどか博士級の人ばかりで、直接英語でやり取りするようになってしまいました。 私は英語が大の苦手ですから、絵姿を見るだけで内容が良く分からず困りましたが、まあ、遊びに行っただけですので気にもせず、会社に帰ってからのレポートも写真を付けただけのようなものになってしまいました。 製品開発をしますと、何がしかの欠点が出てくるものです。自動車など、大会社でもよくリコールと言って製品回収して修理をしますが、うちの会社でもしょっちゅうでした。 私の開発した製品がクレームを起こすのです。そのたびに会社は何がしかの損失をこうむります。 私ほどクレームを発生させた人間はおりません。 それでも、それ以上に会社に利益を生み出してきたのです。 後で分かったというか理解したことですが、技術屋はいくら技術が優れていても、会社に利益を出させることが出来なければただの邪魔者なのです。 私はツキもありました。 ある電力会社の担当の方と意気が合い、どんどん新製品の注文をもらってそれをすべて売ったのです。 そのため、その電力会社は下から2番目の売り上げだったのに、上から2番目の売り上げにまでになってしまいました。 この担当の方と意気が合ったことが私の運だったのでしょう。 接待は私どもの会社が、お客様である電力会社の担当の方にごちそうするものです。 しかし天にも地にも、私の一生の中で一度だけ、その電力会社の担当のから私が接待を受けたのです。まるで逆にです。 その担当の方も、次々と新製品を取り入れ、電力会社としての電力供給の安定性を高めたということで、社内で褒められたのだそうです。 それが私のおかげだと言って、ごちそうしてくれたのです。 私は入社する時には夢を持っていました。 定年までには部長になりたいとの夢です。 そんな中、課長になれた時が一番うれしかったです。これで食うには困らないなと思えたからです。 その頃、定年は55歳でした。 55と言えばまだまだ若いですのに、やめていかれる人をたくさん見ています。 ところが私は部長にはなっていましたが、50歳で退職することになったのです。夢に描いた部長にはなれたのですが、わずか50歳で退職したのです。 そうして、今度は従業員ではなく、経営陣としての取締役になってしまったのです。 この続きは次頁で |