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本物のラジオを作りたかったのですが、お金もありませんでしたので、学校に「ラジオクラブ」を作りたいと申し出し、部活を始めました。 もちろん私が部長です。こんな忘れられない思い出もあるのです。 ラジオクラブ 中学に進みましたら、鉱石ラジオでは物足りなくなってきました。ちゃんとした本物のラジオを作りたくなってきたわけです。でも無いないづくしでした。ほんとに何もないのです。本物のラジオはどういう風に出来ているのかがまず分かりません。作ろうにも材料、部品もありません。指導してくれる人もありません。 それで、考えた末、学校としてクラブ活動にすればお金も出るし、指導者も付いてくれるのではないかと思ったのです。 以外にすんなり認められ、正式にラジオクラブが誕生しました。 部長はもちろん私です。 ただ問題は、クラブの顧問として先生が担当されたのですが、全くの素人さんでしたので、ラジオの仕組みとか作り方などの指導は受けられませんでした。 部員を募って、総勢10人弱程度になったでしょうか。 みんなで分担して調べることにしました。いろいろの資料が集まり、大体分かってきました。 3本の真空管を使うラジオです。一本は電源を作るためであり、もう一本は電波から信号を取り出す役目であり、最後の一本はスピーカーを鳴らすためのものだと言うことも分かりました。 学校からお金を出してもらい、部品を購入することが出来ました。 そうして大望のラジオが完成したのですが、鳴らないのです!音が出ないのです。 困ってしまったのですが、世の中上手く出来ているのですね。私の家の近くで通信ですけど大学に通っており、電気の知識もあって、ラジオも分かると言う兄さんが居られたのです。 さっそく事情を説明し、鳴らないラジオを見てもらいました。 間違いを治してもらったら見事に音がするではありませんか。 次の日、学校に持っていって皆に見てもらいました。喜んでくれましたね。 物を作る喜びをみんなで感じました。 クラブとしての活動は、ラジオの鳴る原理を図に書いて張り出したりしました。 大勢で活動した部活以外に、本当の親友と二人で、超小型の携帯型ラジオを作り、自転車で放送局からどんどん離れたところまで行って、まだ聞こえるぞ!と喜んだりしました。 ゲルマニュームという高性能の鉱石が入手でき、歯ブラシのケースほどの大きさで作り上げることも出来ました。 毎月小遣いをもらいましたが、すべてラジオ関係の部品購入に使いました。両親もそれが分かっていたのでしょうか、少しみんなより多めに貰っていたようでした。 私の思い出は電気が中心になるようです。 小さい時から電気が好きだったのです。中学もそうですが、大学から会社まで、好きな道を悔いなく生きられたのもこういう忘れられない思い出の積み重なりだったのかもしれないと思います。 |