忘れられない
思い出
菜の花畑

 
農作業の母親について行き、種を作るために植えてあった菜の花をたくさん折り取ってしまいました。でも、母は「折り菜をしてくれた」と言って褒めてくれたのです。折ってはいけない菜の花をたくさん折ったのに、叱らなかったこの母の愛情は今でも忘れられない思い出です。

菜の花畑
私の生まれ育った家は農家です。
私は、3人兄弟の末っ子で、姉、兄、私の順ですが、兄とは10才離れています。
このためかあまり兄とは遊ばず、一人で遊ぶことが多かったようです。
友達も田舎の事ですので両隣程度までで、その隣は遠くなってしまいますのでめったには遊びません。

お袋も当然農作業に出かけますから、ついて行く事もあります。
そんな時の思い出です。
あぜ道に大豆の種を植えるのですが、そのためには先の尖った木で出来たピストルのようなものであぜに数cmの穴を開け、そこに一粒の大豆を入れます。入れたら足で踏んで穴をつぶして完了です。この作業をあぜに沿って延々と続けます。
お袋がその作業を続ける後から、私がただついていきます。何をするでもなくただついて行きます。そうして、「えな、かえろ、えな、かえろ」(ねえ、帰りましょう)と言いつづけます。
お袋は、もちょっと、もうちょっとと言いながら続けます。
そうしてやっと終りになり、さあ帰るかなと思ったら今度は菜の花畑で何か作業をはじめてしまったのです。

ついて行った私は、やはりやることが無く、菜の花を手でポキッと折ってはつみ、折ってはつみして持ちきれないほどにしてしまいました。
本当は種を取るつもりだったのでしょうから、折ってはまずかったのでしょう。
でも、叱られはしませんでした。
逆に、せっかくつんだのだからと、家に帰ったら茹でて食べることになりました。そうして、皆の前でお袋に誉められたのです。「良ちゃんが折り菜摘みの仕事してくれたんだよ」と。折り菜とは菜の花を折り取る作業のことです。
母は叱るどころか私を褒めてくれたのです。
このことは今でも忘れられない思い出です。

私は今思い返して見るのに、私は自分の子供に、そのような優しい愛情を注ぐことが出来たでしょうか。
男だから仕方ないよ、ではないような気がします。私の母は本当に私を可愛く思っていてくれたことが分かります。
私は自分の子供に、そのような接し方は出来なかったように思います。申し訳無い思いです。


自伝 TOP  忘れられない思い出