忘れられない
思い出
はさみ

 
小学六年生の時、100ボルトを数ボルトに変換するトランスを作りました。
夏休みの工作として作ったのですが、市の大会を通り、県大会まで行きました。新聞にも載った忘れられない思い出なのです。ただ、この工作でお袋の大事な鋏を台無しにしてしまったのです。


はさみ

小学校六年生の時だったと思いますが、もうすっかり電気と言うことにハマッテしまっていました。
鉱石ラジオは目をつむっていても作れるくらいになりましたし、大きなアンテナも自分で建てました。でも期待したほどではなく、それまで使っていた電灯線アンテナと言う代用アンテナのほうが感度が良く、がっかりしたことも有ります。

鉱石に変わるゲルマニュームと言う非常に高感度な物が発売になり、小遣いを貯めて買ったりしました。
夏休みの工作は決まって電気の関係するものです。

この年、電気スタンドを壊して、台だけ利用し、上にモーターとプロペラをつけて扇風機を作りました。
それはたいしたことではありません。そこに電気を供給するトランスを作ってしまったのです。
小学生でよく思い立ったものだと、今思うとぞっとします。怖いもの知らずもいいとこだったのですね。

トランスを作るためには「珪素鋼鈑」という金属の材料がいりますが、そのへんにあるわけがありません。父に相談しましたら、父はすごいですよ、「わしの知り合いに廃物を扱っている人があるので、大型のトランスの壊れたやつから取り出せばいい」と。
早速その人に頼んで見たら、そのとおり、すぐに珪素鋼鈑が来ました。
私の欲しかったのは、はがきを縦に四つに切った程度の大きさのものなのですが、大型のトランスから取り出したものですから、ひとかかえもある物です。
どの道、設計寸法に合わせて切らなくてはなりませんから、いくら大きくてもかまわないわけですが、扱いに苦労しました。大きいものですから。

しかし切るのにナイフでは切れません。いくら薄いといっても金属の板ですから。
それで家に有ったはさみでやっとの思いで切りそろえました。
何十枚も必要です。ひょっとしたら百枚近くあったかもしれません。
その短冊を重ねてロの字に組んで、絶縁用の紙を巻いてから電線を設計どおり巻いていきます。

組み上がったトランスで扇風機に電気を入れたら、見事に回りました。
夏休みの工作として提出しましたが、これは小学生にしては高度なものだと言うことで、まず新聞に載りました。
そうして市の大会を通り、代表として県大会まで行きました。

ところが、お袋が悲鳴を上げたのです。ラシャバサミがメチャクチャだよー!と。
金の板を切ったのですから、ごめんなさい。もう布は切れないですカネー。

私は本当に電気一筋で生きてきた人間です。
こんな子供のころから好きな道にはまり込み、忘れられない思い出がたくさんあるのです。


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