忘れられない
思い出
下宿生活

 
田舎から突然都会に出てきて大学に通うわけですので最初は戸惑いましたが、下宿生活は忘れられない思い出です。
繁華街の反物屋さんの2階から始まり、色々廻りました。引っ越しとなると、友達がさっと集まり、トラックまで持ってきてくれるのです。


下宿生活

都会に住むのは初めてのことですので大変でした。
両親も農家ですから下宿したことなどありませんし、困っていましたら、義理の兄貴が、それなら知り合いの友人に頼んでやるよ、と言うことで、反物を扱う問屋さんの2階に住むことになりました。繁華街の中心部に近い所でした。 最初の頃帰り道が分からなくなり、タクシーで帰ったこともありました。
バス停まで100mくらいですので毎日大学へ行くのに便利でした。そのバスから電車に乗り換えればもう大学の近くです。

でも慣れるに従ってワルの心が出てきたのでしょうか。冒険心が出てきたのでしょうか、とにかく下宿を変わりたくて仕方なくなってきたのです。
友達から「ここへ来いよ、空いてるからさ」と誘われればじっとしていられませんでした。
逆に通学距離は遠くなってしまったのですが、その友人の勧めてくれた所に引越しすることにしてしまいました。
意外に物持ちでしたので、小型トラックが必要でしたが、ちゃんと用意してくれるヤツがいるのです。電気工事屋の跡取り息子ですが、私はノートを見せてやるなど仲良くしていましたので、引越しとなったらさっそく家から小型トラックを持ってきてくれました。
友達は、サッと集まり数人であっという間に片付きました。

新居で引越し祝いです。みんな若者ですから飲むわ飲むわ、滅茶飲みです。そうしたら、「近くに担任の先生がいるはずだけど、呼ばないか」と言う声が出てきて、とうとう先生まで引っ張り出しての引っ越し祝いになってしまいました。
ところが、私は調子に乗って飲みすぎてしまいました。皆でさわぎ、先生の来てくれた事までは覚えているのですが、その先は覚えていませんでした。気がついたら、ベットの上で一人で寝ていました。
後で先生に会いましたら、「おっ、よう飲んどったな。だけど俺にクダまいたのはお前だけだぞ」と言われてしまったのです。
どうやら飲みすぎて先生に絡んでしまったらしいのです。
友達と言うのはいいですね。先生も良い方ですし楽しい毎日でした。

うどん屋の2階に住んでいた時は、食事は店の好きなものを食べても良いということで楽しかったですし、アパートに入った時はギター仲間が出来て親友になってしまいました。
家庭教師で住み込みとなり、家庭教師代と下宿代と帳消しにしてもらったこともあります。

駅裏の以前赤線と言われていた売春宿の空き部屋に住んだこともあります。
道路側の2階でしたので、私の部屋のすぐ前で客引きをやっているおねぇさんの声が聞こえますし、ちょっと危険地帯でしたね。
駅には近いし、夜中でもラーメンは食べられますし、安かったですし、都合は良かったのですが、ここに住んでいた時、学校の成績を悪くしてしまいました。
場所のせいにしてはいけませんが、自制心に欠けていたためでしょうね。

とにかくあちこち変わりました。
落ち着いたのは、親が作ってくれた新築の自宅に入った時です。
ここに至るまでには、なんと7回引っ越ししたのです。


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