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小学校の時、兎に角、何であれ、ガラスが割れれば私が呼びつけられました。 新任の先生は、私が悪すぎて手に負えず、先生を泣かすほど悪ガキだったとは、自覚外なのですけど忘れられない思い出なのです。 窓ガラス 小学校は、1年から4年生までは女の先生でした。2年生のとき、若い新任の先生だったのですが、新任かどうかなんて私にはわかりませんでした。 とにかく我がまま放題の悪がきですから、新任の先生には大変だったのでしょうね。 あるとき、休み時間が終わって、勉強の時間になっても先生が来てくれないのです。さっきまではいらっしゃったのですからお休みになっていられるわけではありません。 みんなでワイワイ騒ぎながら待っていましたがなかなか現れません。そのうち、みんなで探しに行こうということになり、校舎の外まで探しました。 するとちょうどそこへ、短い坂道を降りてこられるところでした。 それが大変なのです。子供にも一目でわかりましたが、泣き顔なのです。 先生が泣いておられるのです。 みんな心配して、先生どうしたの?と聞いたのですが、何と何と、私が悪すぎて手に負えず、悲しくなって一人で泣いてきたといわれたのです。 先生を泣かすほど悪がきだったとは、自覚外なのですけどね。 5年生、6年生は男の先生でした。 厳しい先生でしたが、やさしいところも有りました。 私は意外に病弱で、ずっとビタミンの注射を続けましたが、この先生が毎日打ってくれました。 先生にはよく叱られました。 何かアクシデントがあれば真っ先に私が職員室に呼ばれます。 狭い校庭ですので、ドッジボールしていてもガラスを割ってしまいます。 すると、わたしが打ったボールで割れたのでもないのに、私が割ったことになってしまうのです。 何枚割っても同じですし、いちいちこれば私じゃなくてあれは私だけどとか、面倒ですから、すみませんと謝っておきます。 でも、それは普通の子にとっては大変なことであり、嬉しかったのでしょう。代わりに謝ってもらって有難うと感謝されたこともあります。 ま、兎に角、何であれ、ガラスが割れれば私が呼びつけられましたね。 こんな悪ガキを通してきた小学校時代は、忘れられない思い出になっています。 |