忘れられない
思い出
電車

 
電車といっても模型電車のことですが、モーターや歯車を集めて私が作ったのです。
お袋がその電車が動いたら喜んでくれました。電車ではなく、それを作り上げた私を嬉しく思ったのです。
この思い出は忘れられない思い出になりました。


電車

電車といっても模型電車のことですが、ただの模型電車ではありません。
動くのです。部屋中を動くのです。

私の生家は農家であり、相当広い建て屋でしたので、小さいうちから一部屋もらっていました。
ただ、屋根裏の部屋で、天井が水平ではなく、窓に向かって斜めに下がっています。横には壁一面に作られた戸棚がありました。
その戸棚の中身は、ランドセルと若干の教科書などの勉強用品も入っていますが、大部分が模型電車や鉱石ラジオの部品など電気関係のものばかりでした。

長さ30cmか40cmの直線や曲がったのや色々の形をしたレールを接続し、そのレールの上に電車を置きます。
その電車は、モーターや歯車を買ってきて工作したものです。電車のキットでは有りませんので動くようにするだけで大変でした。
そうしてレールに数ボルトの電気を与えますと、そのレールからくみ上げた電気でモーターが回り、電車が走り出します。
お袋がその様子を見に来ています。
嬉しそうに目を細め、よく動くようになったね、あっ脱線!などと、一緒になって感心してくれました。
電車が走ることを喜んだのでは有りません。
電車を走らせられるようにした私を喜んでくれたのです。

お袋は、今時の教育ママの形は取りませんでした。そのように成果を誉めてくれますから、私はまた新しいことに挑戦していくエネルギーをもらうことが出来たのです。
それは、得意なことをどんどん深く掘り下げていくことに繋がっていたことが後でわかりました。

電車の歯車は、ウォームギヤーという特殊な歯車ですが、モーターの回転数から車輪の回転数を計算することも出来ました。まだ小学校5,6年生のことです。
家庭に来ている電気は100ボルトですが、これを数ボルトか十数ボルトに落とさねばなりませんが、そのためのトランスの原理も勉強しました。

とうとう、部屋が狭くなり困っていましたら、父が座敷で遊ばせてくれました。
ところが100ボルトの電気をとる適当なところがありませんでした。そうしたら、父が、天井横を走っている碍子引きの100ボルト母線から直接電気を取り出せるようにしてくれました。
お袋も、父親もそのように私を育ててくれたのです。


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