忘れられない
思い出
分校所入学

 
一年生に入学しましたが、小学校ではなく、分校所に入学したのです。本校はこの分校所から約1時間かかりました。
分校所は木造2階建てで、階段の手すりにまたがって滑って遊んだのは忘れられない思い出です。


分校所入学
一年生に入学した時、分校所であることは知っていました。本校の場所も名前もわかっていましたし、何か大きな行事がありますと、皆で遠足よろしく歩いていきます。分校所からかれこれ1時間かかりました。
その分校所は木造2階建ての1棟だけの作りです。階段は2ヶ所あって一つは巾が広かったですけれども、もう一つは巾が狭く、手すりにまたがって滑って遊びました。

一年生は一クラスだけ。その一クラスの構成は、男4人、女18人!。合わせて22人です。
後で転校生が来て、男5人になりましたので23人になりました。(大人になってからの同窓会はいいですよ。両手に花でもおつりきますから)
それでも複式ではなく、私達の学年だけでしたからよかったです。
2年ほどしましたら、分校所から、小学校に格上げになって独立しました。

学校までは家から1kmほどです。毎日歩いて通うのですが、冬は面白いですよ。
カッテノリと言っていましたが、一面積雪状態となって、道路でなくても、田であれ畑であれどこでも自由に歩けるのです。
一度太陽で表面が解け、夜になって凍りますと朝固くなっているわけです。ですから好きなように学校に向かって直線で歩けるのです。
でも、ちょっとだけコツがいります。
田んぼのあぜ道の日陰側は太陽で解けませんので固くなっていないのです。ですからうっかりそこに乗りますと、ズボッと胸のあたりまで入りこんでしまいます。ピョッと飛び越して歩きます。
ところがどっこい、勢いよく着地、いや着雪しますと、固くなっていた表面が破けてしまい、胸までめり込んでしまいますから、そっと着地するようにします。

2〜3年後には、冬はスキーを履いて行きました。これは歩くより早いですし、あぜの日陰部分も何ともないですし、調子よかったですね。
学校と家とはほとんど高低差がありませんので、往きも帰りもスキーが使えました。

傾斜している畑は立派なゲレンデになります。子供達皆で踏み固めて滑れるようにします。
皆はソリです。私はスキーでした。たまには交換しようやと言うことで、ソリを借りて滑ったのですが、運転が下手で止まり切れず、畑の終り部分を突き抜けて崖から落ちたこともありました。
そのようなわけでスキーは小さい頃から得意でした。勿論我流ですけど。

雪が解けてから落ちた崖の高さを測りましたら、6mありました。
普通なら大けがをするところですが、下は柔らかい雪だったので無傷で済んだのです。
我流のスキーでも、中学ではスキーマラソンで優勝しましたし、回転も直滑降も得意でした。
このスキーはその頃なかなか手に入らず、ほとんどの子供はスキーは持っていませんでした。
学校の倉庫にあるスキーを体育の時間だけ借りて使っていた状態でした。
しかし私の場合、親戚の方が、一そろい下さったおかげで、皆より上手くなれたのです。


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